畑・hatake

おじいさんは、畑をやっていました。
僕はまだ小さい子どもの頃、おじいさんの畑作業に一緒によくついて行ったものでした。
おじいさんが畑に行くときは、荷台付きの耕運機を操縦して行くことが多く、僕はその耕運機に乗せてもらうのが好きだったみたいです。おじいさんが知らぬ間に畑に行ってしまうと、置いていかれたと泣いていたとか。

最近は見かけなくなったこんな感じの耕運機でした(画像はネットからお借り)

昔は田んぼもあったので、子どもの頃は田植えや稲刈りを手伝ったりしたこともありました。
稲刈りした後は、藁を山ほど荷台に積んだ耕運機をおじいさんが運転し、僕はその沢山の藁の上に乗せてもらっていました。途中、低いトンネルを頭スレスレで通るのがスリル満点だった記憶があります。

稲刈りの後といえば、お米の籾殻(もみがら)の山で焼き芋を焼いて食べたりしてました。

ここまで高くないけど、籾殻の山を燃やしているところにさつまいもを入れておくと、
ちょうどいい具合に焼き芋ができました。

ただ、大抵は夕方の暗くなる頃に、世話焼きの親戚の叔母さんが入れっぱなしの焼き芋に気づくといった感じでした^^

餅米も作っていたので、年末には餅つきもしました。親戚一同が集まって毎年10升くらいはついていたでしょうか。
子どもたちには、おばあさんが、臼に入れる前の直火で炊いた餅米のアツアツの状態を少しずつ手に取って振る舞ってくれて、それが美味かったな〜。

薪の火の番が好きでした
餅つきになると、
おとなはみんな張り切っているように見えたな〜(^^)

おじいさんがあまり動けなくなってからは、親父が畑をやるようになりました。

けど、僕も中学・高校と大人になるしたがって、畑から離れて行きました。
東京や横浜、名古屋で住んでいるときは、畑にはこれっぽっちも見向きもしなかった。

岐阜に帰ってきてからしばらくして、畑をやったことがありました。
野口のタネで、固定種の種を買い、無肥料・無農薬でやって、はじめてながら結構うまくいきました。
親父からは肥料をやらないとできないと言われましたが、全然りっぱに育ちました。

ただ、タネを取るために残しおいた作物を親父にきれいに刈られてしまい、種取りができませんでした。
昔の人は草が生えているのが気に入らないようで、ちょっと放っておくと、勝手に草取りをされたりということもあったのですが、収穫後の作物が枯れた状態で残っているのも気に入らなかったようです。

そんなこんなで、思い通りにやれないことが嫌になって畑を辞めてしまいました。


しかし、今回本格的に畑をやることになりました!

奥さんも色んな農家さんの手伝いを経験してきているので、その経験を活かしてもらおうと思います。

まずは、親父の畑から4畝を使わせてもらって、夏野菜を栽培します。
これを皮切りに畑の半分は僕らでやる予定です。今度は口出しさせません!笑

そして、秋からは、今ほとんど使っていない荒れた畑を丸ごと使えることになりました!
最初は畝作ったり、準備に大変そうですが、ここは丸ごと完全に自由に使えそうです。

将来的には、畑に関心がある方に、少しずつ貸し出したり、収穫や種まきの体験会などもやれたらと思っています。
昔みたいに、餅つきとかやれたら楽しそう〜

ということで、畑のほうもどんどん拡大して行きながら、楽しんで行こうと思っています!

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